【論点】 情報・資源管理で防災強化

1999年9月29日
投稿) 医療社会学者 小澤 直子

 

論点  トルコ、ギリシャ、台湾とここ1か月半の間に多数の死者が出る大地震のニュース。 阪神大震災を思い起こすまでもなく、一瞬なりとも不安になるのは地震大国日本に住む者ならばのことかもしれない。
 死者6千人以上の阪神、1万4千人以上のトルコ、2千人以上の台湾。 しかし94年の米国カリフォルニア州ノースリッジの地震では、マグニチュード6.8であったにもかかわらず死者数は61人、負傷者数9千人以上であった。 こうした死傷者数の多少は、地震の大きさや被災地の人口密度というよりも、災害対策の備えを含む社会環境の脆弱さ、強靭さの差と言えそうだ。
 そもそも災害とは、日常の手順あるいは普段の備蓄では到底対応できない大規模な出来事であり、多数の死傷者や財産破壊をもたらすことを言う。 地震、台風、津波、原発事故などの物理的、科学的なエネルギーの大小とは無関係に、被災者の捜索活動や救急救命活動、あるいは当該地域の復旧事業に必要な人的物的資源が、地元の対応能力をはるかに超えたものなのである。
 そして災害対策とは、地元のニーズに的確にこたえること。 人手不足、物不足の災害現場で、かつ時間的制約を余儀なくされた中での救助活動なのである。
 そこで求められてくるものは、災害の種類、被災地の位置と範囲、天候や地理地形。 被災地の数と分布、負傷者の重症度などを含めた被災状況。 運搬用のヘリコプターや救急車などのいわゆる備蓄資源にかかわる「情報」なのである。 さらにこうした情報は時間とともに変化する。 従ってこれらの情報を時々刻々と適切に伝えつづけることも必要になる。 次に、そこで得られた情報を収集、分析し、どこにどのように対応するかの意思決定を行い、被災地のニーズに応じた人や物を確保する。 この有限な人的物的「資源」を適正かつ有効に分配することとなる。 すなわち災害対策では、徹底した「情報管理」と「資源管理」が要となる。
 米国では災害の予知・予報から復旧作業に至るまでを、事前計画、災害現場での作業手順、資源管理、トレーニングなどの13機能に分けている。 さらにこれらの機能は、救済者の権利と権限を法的に保障することや、財政処置にかんするものまで、2千以上のありとあらゆる項目に細分化されている。 そして、この2千以上の項目の災害対策を州や各自治体が制作行政評価で常にチェックし続けているのである。 このチェックこそ自らの弱点を見いだすとともに、経済的かつ効果的な災害対策に改善できる利点ともなる。 その上でこそ「災害に強い街づくり」プロジェクトを行うことにも意味が出てくるわけである。
 このような米国の災害への取り組みは、即座にできたわけではない。 過去の数々の自然災害だけでなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦争体験からの反省をもとに構築されてきたものだ。 失敗から学び、学習し改善する米国の災害対策。 学ぶ対象は自国の対応のみならず外国における対策の仕方にまでも及ぶ。 こうした姿勢が災害対策の本質を極めさせ強靭な社会環境をつくる一因になっているのはまちがいなさそうだ。
 日本でも自主防災体制に力を注ぐ自治体や「防災都市づくり」を目指す都市も多いが、とかくガス・水道・電気・電話などのライフラインの被害想定やハザードマップに代表されるような各論的な政策ばかりになりがちである。 しかし災害対策の基本は、当該地域の需要と備蓄資源にかかわる総合的な「情報管理」と「資源管理」なのである。 この本質を忘れずに、統合的な把握やコントロールもできるようにしなければならない。 そしてまずは己を知り敵を知ることである。 地域の災害アセスメントを行い、その脆弱性を知り、これに対する対策を講じることによって強靭な社会環境をつくれることになるのである。 その上で実地訓練でも、避難訓練や消化訓練ばかりでなく、被災者のニーズをどのように集め、どのように伝えるのかといった「情報管理」についての一歩踏み込んだ訓練も必要となろう。
 経済、技術先進国の日本にあっては、もはや「災害は天災である」ではすまされない。21世紀に向けて名実ともに強靭な社会となるように、日本の災害対策について考えなければなるまい。

 

[1999年9月29日(水) 読売新聞 『論点』 投稿]

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