【震災・都市の死角F】救急医療 〜指揮系統がマヒ〜

1995年1月26日

 

都市の死角 がれきの中から無事助け出された人が、救急医療の不手際から、後になって手足を切断する事態になってしまった--。
 助け出された時、一見して大きな外傷がない場合でも、家屋などの下敷きになっていた人は、時間がたつにつれ下敷きになった部位がはれ、ひどいケースでは、やがて血流が泊まって細胞が壊死してしまう。これを防ぐ唯一の方法は、一秒でも早い適切な診断・治療しかない。

施設壊れ医師不足
 救急医療は「48時間の医療」と言われるように、困難な状況の中で、時間との厳しい競争を要求される。だが、今回の阪神大震災では、現場での医師らの献身的な活動にもかかわらず、システムとしての「救急医療」はマヒ状態に陥った。
 地震発生の17日、神戸市だけで119番通報・救急車の出動要請は計7千件にのぼった。だが通信網の混乱で、救急車がけが人を救出しても、搬送先の病院が受け入れ可能な状態かどうかを調べることさえ満足にできなかった。
 さらに、道路網が寸断され、わずかに“生き残った”道路も渋滞で患者の搬送作業は困難を極めた。
 救急医療の現場は施設を破壊され、医師の配置が間に合わず、医薬品も不足するなど、壊滅に近い打撃を受けていた。

  医薬品補給も遅れる
 外からの補給も間に合わず、17日夜には、一部の病院で点滴液が底を尽き、抗生物質などの医薬品が切れかけてしまった。「重症患者が運ばれてきても十分な治療ができず、死亡する人が相次いだ」と、東神戸病院(神戸市)のある医師は当時を振り返る。
 厚生省が、兵庫県からの当面必要な医薬品の補給リストの連絡を受け、民間の協力を得て医薬品を被災地に補給できたのは19日になってからだった。
 他県からの医師の支援の遅れも目立った。近畿医師会連合災害対策本部によると、大阪大学病院など一部の医療機関では医師を独自の判断で現地入りさせたが、どこにどれだけの人数の配置が必要かがわからず、結局、「いきあたりばったりの対応が」精いっぱいだった」(糸氏英吉日本医師会常任理事)。
 「今回は、司令塔が吹き飛んでしまった」--。初期救急医療がことごとく不十分な結果に終わった最大の原因を、専門家の多くはこう表現した。現場で指揮しなければならない行政の機能が全く動かなかったからだ。厚生省も「これほどの災害のケースは想定しておらず、救急医療がうまく機能できなかった」(健康政策局)と認める。

専用の無線回線なし
 また、甲斐達朗・大阪府立千里救命救急センター福所長は、神戸市内に救急医療専用の無線回線が存在しなかった点を指摘する。「患者がどこに何人いるかがわかっていれば、救急医療のわかる医師を被災地周辺に集結させ、そこに重症患者を搬送し、重点的に治療することもできた」と悔しさをにじませる。
 今回のような大災害での救急医療では、広域にわたる自治体の協力と強力な指揮系統の確立が不可欠。
 米国の災害救助体制に詳しい小澤直子金沢医大非常勤講師は、「自治体の枠を超えた医療支援組織の結成と非常時の具体的、実践的な救援態勢の整備が急務」と指摘した。 

 

[1995年1月26日(木) 日本経済新聞 特集記事『震災・都市の死角F』]

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