【特集 災害医療】
アメリカの行政における災害医療対策をみる

1994年9月
小澤直子 金沢医科大学非常勤講師(米国・デンバー在住)

 

1979年に大統頷令でFEMAが登場

米国では、国内のいかなる災害にも素早く対応するため、連邦政府による災害政策の制定が、長年にわたって試みられている。連邦政府による災害政策づくりは現在も続けられており、連邦緊急管理庁「FEMA」(The Federal Emergency Management Agency)の組織編成などいくつかの捉案が議会に提出されている。
米国の災害対策の変遷は、その過程をたどれば、この国の建国にまで及ぶ。米国が合衆国となって以来、連邦政府は、暴動などの市民騒動や戦争への準備といった、緊急時における民間防衛や災害などに対処する役割を担ってきた。だが、連邦政府の緊急災害への対応は、年々その役割を増していったが、米国の災害救助は、あくまでその州で対応することが基本とされていた。連邦政府が州政府に取って代わって指揮権を発動することはなく、連邦政府はあくまで災害に対し、補助的な立場とされた。
歴史的に見ると、緊急災害への連邦政府の対応は、1950年に制定された米国最初の災害救急法・市民防衛法(The Civil Defence Act)をきっかけとして大きく変わった。1800年代から個別に制定されてきた米国の様々な救済条例が、ここで初めて1つのまとまりとされた。だが、本当の一本化へは、まだ長い道程があった。
1950年代の米国の緊急管理政策は、ソ連からの核爆弾への備えを中心として制定されていた。市民防衛の意識は、62年のキューバ危機によって強化された。さらに64年のアラスカ地震、65年のハリケーン(ベッツィー)、71年のサンフェルナンド地震といった州レベルでの対処を超えるような大型の白然災害が相次いだことで、国全体として自然災害へ対処する対策面の強化が必要とされた。
こういった背景のもと、78年に当時のカーター大統領が災害管理の大改革へと取り組み、今まで各省庁でばらばらになされてきた災害時の対応を1つの傘のもとへとまとめる試みがなされた。こうして79年の大統領令によって、緊急時に他庁をリードする官庁として、FEMAが創設された。

全米10地区で、2300人がFEMAに働く

図1 FEMAは、今まで国防総省、住宅都市開発省、商務省、気象庁でバラバラに行われていたプログラムを1つにまとめる形で、平常時、非常時を問わず、災害において連邦政府の中心に位置するよう組織された。FEMAの本部は首都ワシントンにあり、全米を10地区に分けて管理、管轄している[図1]。FEMAの配下には、米国消防庁を含めた20以上の機関があり、約2300人がFEMAで働いている。
災害緊急時における危機管理は、まずそこの州や地方自治体で対処することがベストという基本には変更はない。FEMAはそれら地方の対応能力(財源、設備、指導力など)を超えるような災害が起きた場合に、協力やサポートを行うのが仕事とされた。
FEMAは具体的には、以下のような活動を行っている。
(1)核戦争に備える各種準備のコーディネート、(2)国家緊急時における政府プランの調整と統一、(3)州や地方自治体の災害政策や準備・対応・復旧のサポート、(4)緊急時における州や地方自治体管理者の能力向上のためのトレーニングや教育、(5)原発事故など放射線災害に備える地方レベルでの体制作りの援助、(6)大統領から指定された災害に対する連邦からの財政援助の調整、(7)山火事や地震などの損害の縮小、(8)緊急時の食料やシェルターの管理、(9)災害緊急時のための実用的な方法論の構築、(10)自然災害における家庭内安全への地域普及プログラムの開発などだ。

戦時は国防総省の医療システムを支え、災害時は市民救済

以上、緊急災害時における米国での連邦政府の対応、FEMAの役割を述べてきたが、多数のけが人はなにも戦争に限らず、自然災害、火災、爆発事故、列車・飛行機事故など平穏時であっても起きる可能性はある。
80年8月、厚生省、国防総省、FEMA、退役軍人管理局(VA)から成る研究班によって、災害対策についての見直しが行われた。その結果、現在の災害対策には、適切な医療対応が欠如していると指摘された。確かにFEMAの主な活動項目の(1)〜(10)を見ても、災害対策はあっても、災害医療対策の面が薄いといわざるを得ない。
そのため災害医療対策のシステムづくりが急がれた。多くのけが人が予想される緊急医療事態には、国レベルでの1つのシステムで対応することが望ましい。すでに戦争時の医療対策としては、国防総省が80年に多数の負傷兵発生に備えるために設立した、一般軍人緊急用病院システム「CMCHS」(The Civilian-Military Contingency Hospital System)があり、このシステムは災害医療対策に大いに参考になった。
CMCHSは、軍関係者でけが人が多数発生した際、退役軍人病院以外の任意の民間病院が、国防総省に協力するためにベッドを確保しておくシステムだ。米国は憲法上戦争を放棄している日本と異なり、いつ自らが戦争に身を投じるかもしれぬ国だ。ソ連崩壊などにより、米国の軍事予算も減る傾向にあるとはいえ、米兵は国外にまだまだ駐屯している。
CMCHSはその後改良され、戦時には国防総省の医療システムをサポートし、国内の大きな災害時には市民の救済に充てられるようになり、この新システムは81年8月に完成した。さらに、81年12月17日にレーガン大統領が、緊急動員準備委員会「EMPB」(The Emergency Mobilization Preparedness Board)を設立し、災害に備える政策の改良や改革を押し進めた。こうして82年の終わりには、最終的に国家災害医療サービス「NDMS」(The National Disaster Medica System)が誕生した。

普段は自分の病院勤務で、緊急時にDMATの一員となる

NDMSは、国防総省、厚生省、FEMA、VAからの指示、開発によってデザインされた。NDMSは、それぞれの機関と協力関係にあるが、厚生省がリード機関となっており、NDMSは厚生省の配属下に位置している。
NDMSが活動を始めるには、災害を被った州知事が災害救助条例(Disaster Relief Act of 1974, Public Law 93-288)に従って、連邦緊急管理庁(FEMA)あるいは大統領に直接連絡し、大統領が国レベルの災害に指定することが必要とされる。ただし、災害が国レベルのものまでにならなくても、公衆衛生局条例(Public Health Service Act)により、州の保健衛生局の要請で活動することもある。また上記の条例にあるような大災害に当てはまらぬ状況でも、国家安全緊急事態においては、国防総省長官がNDMSの活動に対する権限を持っている。
図2,3 NDMSは、災害非常時の州・地方自治体の医療対応面における国レベルの補助的なサポートと、国外での戦闘に備える軍医療システムヘのバックアップを2つの大きな柱としており、具体的な活動目的としては、被災者の避難活動の援助や医療の対応を行っている。
被災者の避難活動には、災害地から患者を搬送する手配や、空軍、任意民間航空機関など空路による避難の手配などが必要とされる。避難路の手配の中心となるのは国防総省であるが、NDMSはそれらをコーディネートする役割も担っている。
医療提供面では、国防総省と退役軍人管理局(VA)が、最終的に組織としてリードすることになっている。国防総省とVAが全米での緊急時のために確保している民間病院数は[図2]、ベッド数は[図3]のようになっている。
 NDMSは患者の状態から病院の手配を決め、地元の連邦コーディネーティングセンター(Federal Coordinating Center)が、赤十字への連絡や孤児のための福祉事務所への連絡といった事務を行う。
連邦コーディネーティングセンターは、現場でのNDMSの最終的な医療提供の調整や、災害地での民間病院がNDMSの一環として患者を受け入れるための手続きに責任を持つ。国防総省に32、退役軍人管理局に40のNDMSのコーディネーティングセンターがある[図4]。
図4 災害時の具体的な医療行為としては、(1)医療援助の必要性の評価、(2)医療関係者の動員、(3)医療機材、器具、医薬品の提供、(4)犠牲者の身元確認、遺体管理、などが挙げられる。NDMSの要請でこれら医療行為を実際の現場で行うのが、災害医療支援隊「DMAT」(Disaster Medical Assistance Teams)だ。
DMATの人々はNDMSに任意加入している医療関係者たちで、普段は各々病院で仕事をしている。だが、緊急時にはNDMSの連絡でDMATの一員となり、活躍する。この時一時的に国の被雇用者となって、身分保証が行われる。
DMATは、医者、看護婦、技術者といったさまざまな医療関係者で構成され、1チームは約35人。災害現場でトリアージ、応急処置、患者搬出などを行う。DMAT1チームで、約80人余の患者への対応が可能であり、もっと大きな災害時には、3つのDMATに15人余から成る運営部(Administration)が加わってClearing Staging Unit[図5]として行動する。
図5 DMATは応急処置をするだけだが、現場で手術などが必要とされる場合には、移動式緊急手術病院「MESH」(Mobile Emergency Surgical Hospiotal)がNDMSによって用意される。この組織は軍の外科病院「MASH」(Mobile Army Surgical Hospital)に非常に似ており、麻酔医1人を含む17人の医師、4人の麻酔士を含む41人の看護婦、その他技術者など合計200人余から成る。MESHは、1日36例の手術が可能とされており、最悪の災害時には、10〜15のMESHが必要と見られている。その他、特殊チームとして、小児チーム、やけど専門チーム、災害犠牲者対応チーム、捜索救出チーム、精神科チーム、獣医チームなどがある。
以上見てきたように、米国の災害医療は、平時のみの災害を対象としている日本と異なり、戦争時を含んだ形での総合的な緊急救急医療としての位置付けが行われている点に、特色があるといえる。

 

[1994年9月号メディカル朝日 掲載]

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