【特集 災害医療】
座談会「災害医療を問う」 −法整備と災害官庁の新設を−

1994年9月
山本保博・日本医科大学千葉北総病院院長(司会)
金子正光・札幌医科大学救急集中治療部教授
今泉 均・札幌医科大学救急集中治療部助手
笹木秀幹・下田クリニツク院長・前西伊豆病院副院長

 

災害救助法と基本法はあるが…

【山本】先ごろ、松本市で有毒ガス災害がありましたが、わが国は非常に災害の多発国であることは間違いないところです。しかし、これらの災害医療対策においては、いまだ問題点は山積しているというのが実情ではないかと思います。
今年は、国際的には国際防災10年(IDNDR)の中間年で、特に自然災害を中心とした予防、準備、自然災害の軽減化の対策が少しずつではありますけれども、実を結んできているのではないかなという気がします。
また、9月1日が防災の日でして、それを機にわが国の災害医療の第一線で活躍しておられる先生方にご参加いただき、災害に対する現状と展望をお話しいただきたいと思っています。まず金子先生、お話をいただければと思います。

【金子】法的には、災害救助法と災害対策基本法がもとになっていると思うのですが、災害全体に対しては、自治体がとりあえず災害対策本部をつくり、日本赤十字、自衛隊、あるいは医師会等、関係機関が関わり合って進めてゆくのがこれまでの常套手段のように思います。ただ、医療に関しては人が死ぬか生きるかという緊急問題と、それに続く外科はもちろんのこと内科的疾患や精神科、歯科さらには衛生問題があります。そこがやはり大きく医師グループが関わり合うところではないかと思っています。ところがそれについては、系統的に言うと、実はあまりしっかりしたものがないような気がします。災害対策本部がつくられても、そこに医師がいるかというと、医師の代表はだれもいない。行政マンだけでやっている。どうもいまひとつ医療の側に直接いろいろな働きかけがないというか、インフォメーションがない。ですから日赤にしても、自衛隊にしても、各々バラバラに動いているのではないかと思います。

バラバラでネットワークがない

【山本】国土庁の災害対策基本法、あるいは厚生省の災害救助法をもとに、地域での地域防災計画ができ、それでいろいろなところが動いてくるということになりますが、特に衛生、医療に関してはバラバラであるという問題提起がありました。確かにわが国は縦割り行政の弊害というのが、非常に大きなポイントになると思いますが、笹木先生、その辺はいかがでしょうか。

【笹木】災害医療は通常の救急医療と全然違う。通常の救急医療は、1人の重症の患者さんをいち早く後方の高度医療機関に運ぶというか、現場から患者の点と点を線で結ぶプレ・ホスピタルケアですね。迅速に、かつ高度な医療の継続を図るというか、そういったものが救急医療の本質だと思うのですけれども、災害は、そういったものがマスで起きてしまう。
そういうことで、非常に大量の被災者が瞬時に発生して、それを、なるべく多くの患者さんに最大多数の最大幸福といいますか、できるだけ適切な、複数の医療機関に急いで搬送する。そういった、点と線の救急医療とはまったく違った面と面、マスと複数の医療機関、それをつなぐのはネットワーク、そういったことが必要になってきます。そこで金子先生がおっしゃったような、本来は横のつながりがなければいけない、ポリス、レスキュー、そういった人たちがかなりネットを意識して、ネットワークを機能させなければいけないはずのものが、実際は非常に行政的な縦割りのレベルで、医療従事者にあまり話が下りてこない状況になってしまっている。災害の本質を考えると、災害医療が求めているネットワーク、横のつながりが、現時点では縦割りの社会の中での災害対策基本法であるとか、災害救助法でしかないということに問題点があると思います。

【金子】通信の方法がまったくバラバラですから、それ1つを取ってもいつも問題になります。北海道でもこの2年ほどの間に交通災害は、大きな玉突き事故が2回ありましたし、地震も2回ありました。しかし、いつも問題になるのが、結局情報がうまく伝わらないということです。差し当たって医療専用の無線が必要であり、さらには各組織共通の通信網が必要となります。

【今泉】災害といっても規模はマチマチであり、またその規模を災害発生と同時に把握できるわけではありません。従って、医師会などを中心とした、その地域ごとの既存の救急システムを十分活用することはもちろんですが、同時に多数の患者を扱うため通常の救急システムではパンクしてしまいます。つまり、災害医療においては、限られた医療資源下で最大の効果が得られるように、トリアージ(triage)、トリートメント(treatment)、トランスポーテーション(transportation)の3つが必須であり、現場で医療を担当する医師以外にも、諸機関から上がってくる災害情報を入手した上で、組織だった医療を行うために、オルガナイザーとして災害医療に精通した医師が必要です。
しかし、災害多発国であるわが国では、災害の規模を死者数ではかる傾向が、行政、マスコミを通して極めて強く、「死者数がこんなに多いから大災害であった」と報告されるだけです。本来望ましい災害医療システムが機能していれば、どのくらい人的被害を抑えられたかといった反省や議論が行われたことは未だかつてありません。また、医療側でも、あまり現場の医師の経験を分析したり、蓄積することもないため、反省点をもとに対策が論じられたり、啓蒙がなされることもありませんでした。従って、災害を経験していない一般医師においては、災害医療と救急医療の違いは負傷者の数だけの問題で、救急医療の延長線上に災害医療があるかの誤った認識がなされているのが現状かと思われます。

【山本】その辺はどうでしょうか。笹木先生、救急医療の延長線上に災害医療があるのだという日本の認識そのものが問題なのだという意見ですが。

【笹木】おっしゃる通りで、災害時の救急医療においても、主役は普段の救急医療をやっておられる医療スタッフの方々ですが、患者さん1人ずつを先着順でやるような救急医療の延長ではなく、より多くの被災者を救命するためには、有限の人的物的資源が有効に利用できるための仕組みと知恵が必要であることを、救急医療に携わる人々に認識していただく必要があります。
“最大多数の最大幸福”を目指すのが災害医療であり、これを実現するために普段の救急医療とは違った“情報管理”と“資源管理”が必要だということを知っておいていただかないと。

【山本】最近の名古屋の中華航空機の墜落災害のときに、新聞での報道ですけれども、警察と救急隊が非常に対立した場面が出てきたそうです。警察というのはどうしても現場の保持ということに重点が置かれる。ところが消防は救命がポイントになってくるので、何とかこの機体を早くどかして救助したい。そこで問題になるのは何かというと、現場の指揮・命令系統ではないかなという気がしますけれども、その点についていかがでしょうか。外国との比較でもかまいませんが、日本はどうしてそういう縦割り行政の弊害がいつも出てくるのかという問題につきまして。

指揮命令系統がきちんとしていない

【金子】その具体的な事象から考えると、医療に限定すれば例えば日赤にしても、日本医師会にしても、あるいは自衛隊にしても、個々に動いているわけです。そこが一番問題になるのではないか。例えば、自衛隊などは自己完結型で、全部自分たちでやるのだというところがありますね。日赤も各地の病院からの応援でいろいろとやり、日本医師会も傘下の医師会と連絡を取り合ってやるという。そこにはあまり情報交換というか、指揮命令系統がきちんとしていないのではないでしようか。

【山本】その指揮体系について、外国ではどうなっているのでしょうか。

【笹木】米国では、災害時救急の問題点を整理して、これを解決するための国家研究が行われ、警察、消防、医療チームなどが、1人の司令官(Incident Commander)に従って対策活動にあたるという統合型災害対策指令システム(Integrated Incident Command System)を1970年代に確立させました。警察、消防、医療チームが共通の無線周波数を用い、共通言語を駆使して情報交換することで、惰報管理、資源管理をより適切なものにしています。

【山本】法律上では、わが国でも当然災害の規模によりますけれども、自治体の長、あるいは県知事等が災害対策本部長になるというようには決まっているのですが、それがうまく動いていないというところに問題があるという気がしますが。

【金子】非常に難しいと思いますね。それは行政の側にいくら訴えても、そういうシステムになっていないからだめだという発想になると思うのです。

オーソライズされた権利が集中するFEMAの設立

【山本】そこはとても大事なところだと思います。その問題で派生しますが、例えば自治体によって防災無線、あるいは救急無線について、周波数が全部違う。そういう問題点で、A市の救急車はどこへ行ってよいのかわからない。B市のそれもまた同じようなところにどんどん来てしまう。これは非常に問題になるのではないかなという気がしますが、どうでしょうか。

【笹木】救急車を含めた医療資源の有効利用が工夫されていないですね。市町村などの自治管轄地域が複数にまたがった場合の災害対策は、情報管理、資源管理の視点から見ると煩雑になりがちです。先ほど言及したアメリカ合衆国の国家研究(タスクフォース)においても災害対策の責任の所在の単一化、指令系統の統合化が問題視され、彼らは災害対策専門の省庁である、FEMA(The Federal Emergency Management Agency;連邦緊急管理庁)を発足させました。

【山本】そうすると、わが国でもFEMAのような機関が必要であるということになってきますか。

【笹木】ただでさえ横のつながりの難しいところに、災害時に限って、省庁間同士、中央政府と地方自治体などの連携がうまくいくとは思えません。

【金子】私たちは北海道で、災害が起こった後で、いつもこうすればよかった、ああすればよかったと、いろいろディスカッションはするのだけれども、もちろん解決されていることもたくさんありますが、1つ何か組織をつくるというのは、非常に難しいことだと思うのです。しかし、それを乗り越えてつくらなければ、日本の災害への効率の良い対応というものはなかなか解決できないことがたくさんありますね。

災害医療サービスを国として組織化

【笹木】私は伊豆半島にいますけれども、金子先生のところと違って、もっと医療僻地です。医師も医療機関も少なくて、災害の危険度も、半島ですからやはり潜在的にポテンシャルが高い。普段から医療従事者が少ない、医療機関が少ないところで、しかも交通のアクセスが非常に悪い環境なのです。高度な災害危険区域ということで、それをカバーすることになると、東京都内で災害が起きるのと伊豆半島で起きるのとはずいぶん違うと思うのです。要するに地域の脆弱性が伊豆半島にはある。それをカバーするのは、国の役目というようにしか思えないのです。ですから、一人ひとりが均等な安全を確保するためには、伊豆半島のようなところでは、非常に早い時期から自衛の能力が弱いということにかんがみて、やはり国家とか県とか、そういった公的なものが災害時にはすぐ出動できるような態勢になっていないといけないと思います。
これもやはり米国の話なのですけれども、あれだけ広大な土地で、伊豆半島以上に医療僻地というのがざらにあるわけです。そういったところでも、米国国民というのは均一に安全を保障されているという仕組みの中で生きている。医療環境として、自衛能力の乏しい脆弱な地域社会に災害が起きた場合、国家が資格と権限を与えたDMAT(Disaster Medical Assistance Teams;災害医療支援隊)が、直ちに組織され、現場に急派する仕組みが法的に整備されています。NDMS(The National Disaster Medical Service;国 家災害医療サービス)と呼ばれるもので、80年代に確立されています。日本全体を“安全な社会環境”とすることは不可能です。災害は必ずやってきます。しかし、たとえ安全ではないにしても、有事のときの支援が保障されているものであれば、“安全な環境”にすることはできると思われます。

ボランティア組織のDMAT

【山本】いまNDMS、あるいはFEMA等の話が出ていましたが、ここでちょっと欧米の災害対策について話を進めていきたいと思います。70年代にFEMA、80年代にNDMS、そしてそのボランティア組織と申しましょうか、DMATが出てきたという気がします。それによって米国では災害医療対策が向上したのかどうかというところから、笹木先生に話を進めていただきたいと思いますが。

【笹木】基本的には災害対策は、当該地域の自立、自衛能力が主体となります。FEMAやNDMSの活躍は、当該地域の能力をはるかに超えるような災害時に適応されるもので、その活躍はあくまで“支援”というスタイルをとっています。たとえ、NDMSからの支援チームが災害現場に一番最初に到着し、活動を始めていても管轄地域の医療チームで充足できれば、直ちに引き上げることになります。脆弱な地域祉会にとっては本当に有り難い仕組みになっています。
留意したいのは、国家が資格と権限をもたせ、さらに身分保証、給与保証をきちんと法的にバックアップさせている点です。まさに国内版PKO法そのものです。

【山本】わが国と対比していきますと、わが国では地域の医師会が前面に出て、医師会を中心とした医療チームの構成になりますね。そのときに、日本赤十字社法により日赤のチームも出動してくることになります。

【笹木】現状での、医師会や日赤、国立病院などに、災害時に求められる医療活動のすべてを委ねるのは質的にも、量的にも不十分だと思います。


トリアージ、トリートメント、トランスポーテーション

【山本】災害サイクルを見ますと、当然発生があってから、被災があって、エマージェンシーフェーズがあって、それから感染症や伝染病の時相が出てきて、最終的には復旧復興(リハビリテーションを含む)のところまでの時相に流れていきますから、そのエマージェンシーフェーズだけをDMATがやっているのだということだと思いますが。
もう1つ外国が日本と違うのは、専門家集団というものがしっかりしているところだという気がしています。その辺につきまして、日本は地域防災計画の中で地元の医師会がその中心で、災害医療を担うというようになっていますが、最近では救命救急センターが全国に119ヶ所できています。それから救急救命士も7395人(消防関係1728人を含む)が誕生しています。このように救急医療全体がどんどん動いてきていますが、相変わらず地域の医師会や日赤だけでよいのかという問題が当然出てくると思います。そういうNDMSの専門集団というところと、いまの日本の現状を考えて、金子先生いかがでしょうか。

【金子】確かに、救急医療はだんだんと確立されつつありますね。
山本先生のグループにしても、あるいは私たちのグループにしても、災害医療のグループが日本の国内でも増えてきております。しかし、これはまだ同好会的なところがあるのではないでしょうか。
大きな災害に対してどう対応するかというきちんとした組織が日本にはまだありませんね。ですから、まず医師のグループが、システム化をして、その組織を行政側に認めてもらう必要があります。
90年に自衛隊は北海道の恵庭市でビッグ・レスキューという、すごい災害活動の模擬演習をやりました。あれを見たら、これだけの設備や機動力があったら、日本の中の災害は大丈夫だなと皆思いますよ。しかし、実際にはあれだけのものを動かすことはまずないでしょう。
ですから、医療の側から言わせていただけば、そういう災害医療の専門家集団をどうつくり、認知してもらうかが、極めて重要だと思います。

【山本】いまの金子先生のお話は、災害医療専門家集団の認知という点が非常に大事なのだということですが。

【笹木】災害医療に関わる医療従事者には、資格と権限を与える必要があります。これは先にも述べましたが、PKO派遣員のように法的に支えられたものでなければなりません。そして、彼らの資格権限を国民すべてが認めるものでなければならないと思います。
ただ、災害医療で要求される知識や技術は、身につけるのに何年も必要な高度なものでは決してないと思います。トリアージは、広い専門知識に基づいた診断学ではなく、あくまで患者の病状から治療と搬送のための緊急度を判断するものですから、基礎知識のある医療従事者であれば簡単に身につけられます。心肺蘇生術や止血操作も、災害現場やプレ・ホスピタルケアで要求されるレベルのものであれば、習得にさほど時問はかからないと思います。

【金子】日本の現状ではそれをだれがやるかということになりますね。災害に対してかなり造詣の深い人たちがやらなければ、またトリートメントやトランスポーテーションを含めて考えた第1段階のトリアージでなければ、あまり意味がないような気がします。

【笹木】災害現場で求められる医療活動から、必然的に災害医療チームに必要な最低限の知識と技術を示すことで、これを充足した人たちにはどんどん資格を与える、救急救命士のようなものができればと思います。

【山本】災害の現場での医療というのが笹木先生のご意見で、それには3Tとよくいわれています、トリアージ、トリートメント、トランスポーテーションで、このトリートメントというのは応急処置の程度までだとよくいわれますが、一方金子先生は災害医療ということになれば、もう少し後方病院での専門医療というものも、流れの中に入ってくるのだというご趣旨の発言だったのではないかと思いますが、その辺の災害医療そのものについてのお考えは、金子先生いかがでしょうか。

【金子】自然災害であれ、人為災害であれ、捜索やレスキュー、現場でのトリアージ、クリティカル・ケアを含めての応急処置、搬送、後方病院でのクリティカル・ケアという流れがあると思います。また、その地域でのクリティカル・ケアができる病院の選定もあらかじめ必要となりましょう。これらを系統化しておく必要があり、これら全体を災害医療と考えてよろしいのではないでしょうか。また、他の分野も含めて、きちんと組織化しておかなければなりません。多分、このような系統図はできているのでしょうが、今ひとつ私たちには見えてきません。どうも、見ていると医師はいつも病院の中だけにいて、搬送されてきた患者だけを診ていれば良いという無意識の風潮があるように思われますが。

【笹木】先ほどの話の続きになりますけれども、災害の現場に派遣する職員・医療スタッフは、最低限の知識、トリアージをするとか、そういった知識以外に、PKO隊員などでもカンボジアに行って身の保全というか、自分の身を守る護身術を持っていますね。それと同じで、医療技術者ならば、注射針を触ってはいけないということとまったく同じ発想で、例えば非常に危険な放射性のものがあるのに平気で手で触ってしまうようでは困るわけで、そういった必要かつ十分な知識を植え付けるような教育が必要だと思います。

【金子】それをだれがやるかということですね。

【山本】市民への教育も重要です。私は松本の毒ガス事件のときに、ガスの臭いがすれば一般的には戸を開けますね。あれはガスの臭いがしたから、戸を開けた人たちは中毒になってしまったとのことです。そういう普通の救急のガス事故と災害のときでは、逆になってしまうということも、非常に大事な教育なんですね。

【笹木】災害から学ぶという、要するに非常に悲惨な経験を共有するというようなことも、やはり大事だと思います。医療教育ということにつながると思うのです。奥尻島の体験を皆で共有しようと。奥尻島の問題、あるいは今回の名古屋空港の問題を、皆同じ体験ができるわけではないが、その体験のチャンスもあるということを考えた時に、ドキュメンテーションで後に残すことが非常に大事な作業ではないかなという感じがします。


12年前の地震がプラスとマイナスの双方に影響

【山本】その通りですね。いま全体的な教育の問題では、専門家集団を一生懸命つくろうではないかという点とともに、一般市民への教育の重要性という点も出てきたように思いますが、その具体的なところにこれから入っていきたいと思います。昨年7月に北海道の南西沖地震で奥尻島を中心として非常に大きな被害が出たわけですが、この医療対応について、どこがよかった、どこが悪かった、反省点はどこにあるのかというようなところから話を進めていただければと思います。

【金子】マグニチュード7.8の大地震が北海道の日本海沿岸で去年の7月12日22時過ぎに起こったわけです。
それが地震と津波と火災と崖崩れと、その4つが大きな被害の原因になったわけです。あっという間に津波がきてしまったことが一番大きな原因だったのでしょうけれども、全体のことを理解してもらうために、今泉先生から説明してもらおうと思います。

【今泉】今回の北海道南西沖地震の特徴として、3点を挙げることができると思います。第1は過去に大地震を経験していた奥尻島内を中心に発生したこと、第2に奥尻島内には崖崩れによる限局した災害を生じた奥尻地区と、津波、火災による広域災害を生じた青苗地区の2つの異なった災害形態がみられたこと、第3は奥尻島という離島に発生したことです。
第1点は同島民が12年前に日本海中部地震を経験していたことが、避難に関してはプラス面にも、マイナス面にも働いたものと思われます。島民は前回の経験から、地震後津波が押し寄せるということを認識しておりましたが、今回の地震では地震発生から津波発生まで数分しかなかったこと、津波の規模が前回に比べて大きく、また数回にわたって異なった方向から押し寄せたことが相違点でした。地震後直ちに、つまり津波警報発令以前に高台に走って避難した島民は助かりましたが、前回と同様に津波発生までの間に15分問のタイムラグがあると思っていた島民は、地震発生後に船を見に行ったり、物を取りに行ったり、車を準備して親戚を乗せているうちに、避難が遅れて津波に襲われました。
島唯一の奥尻町国民健康保健病院では、前回の地震後に、地震災害を想定して避難訓練を自主的に行い、連絡網を整備していたことなど、災害に対する心構えができていたことが、今回の迅速な対応に現れたものと思います。
第2に島内でも地域によって災害の形態が異なっていた点です。崖崩れによる被害が中心だった奥尻地区では、ライフラインも保たれ、奥尻町国保病院も十分機能できましたが、津波、火災による広域災害を生じた青苗地区では、道路、電話、電気などのライフラインはすべて崩壊したため、医師は来ることもできず、また負傷者を連れて行くこともできなくなってしまいました。
第3は離島のため、情報が混乱し、また救援、救助活動にも交通手段である「足」の確保が第一に必要になりました。従って、医師派遣や医薬品の輸送に関しても、ヘリコプターに依存せざるを得ない状況となりました。偶然、NHKの取材班が青苗地区にいた関係で生々しい映像が地震発生早期から全国放映され、中央官庁を早期に動かすのに役立った点はありますが、医療面に関する情報は極めて貧弱なものでした。
この災害によって、230人の死亡または行方不明になり、死囚の70%は溺死で、その他は崖崩れによる多発外傷などによる死亡でした。津波による溺死は通常の海水溺死と異なり、気管内が多量の砂で満たされ、窒息状態を来したと推測されます。津波の襲来を「黒い屏風が押し寄せてきた」と形容されておりますが、黒い屏風とは、津波が砂を巻き上げたためのようです。
犠牲者の中には高齢者を含めた災害弱者が多数おりましたが、高齢者、女性、子供が島の人口に占める割合が高かったほか、災害発生時に漁師である成人男性がイカ釣りで沖合に出ていたことも救助の面で関係していたのかもしれません。

情報が1つにまとまっていない

【今泉】本題である今回の災害医療の実態について説明したいと思います。前述しましたが、奥尻地区には島唯一の医療機関、奥尻町国保病院がありますが、この地区は崖崩れによる限局した災害であったため、道路などのライフラインに支障を来さず、奥尻町国保病院の医師2人のほか出張医1人、自衛隊の医官1人の計4人によって、死亡者26人を含む95人の患者をトリアージし、61人のトリートメントを行い、17人を入院させると同時に、8人の重症患者を自衛隊のヘリコプターを使ってトランスポーテーションをしております。山本先生がおっしゃった災害医療の3Tに関しては、奥尻地区については医療関係者の努力によって十分に行えていたものと推測されます。
しかし、奥尻地区から15kmしか離れていない青苗地区は、地震と津波によって道路が分断されて、奥尻町国保病院の医師は青苗地区に行くことができず、青苗地区の負傷者も奥尻町国保病院に連れて行けない状態となってしまいました。現地にいた警察官、役場職員、看護婦、老人ホームの指導員、寮母、事務員などが心肺蘇生を含む救助活動を行いましたが、地震発生8時間後の陸上自衛隊医療班到着まで意識のあった2人の患者が死亡し、6人がヘリコプターで搬送されました。医療班到着後は70人の負傷者の処置を行い、13人をヘリコプターで移送しています。
今回の災害医療に携わった経験から、日本における災害医療の問題点を4つ指摘したいと思います。1つは通信、情報に関するものです。現地対策本部に災害医療を統括する医師がいないため、どこにどれくらいの負傷者がおり、医師をどこに派遣したり、どのような活動分担をしたらよいのか、または負傷者をどこに運んで治療をしたらよいのかという情報を入手、集約できず、医療面におけるマネジメントを行い得ないことが挙げられます。実際、青苗地区には自衛隊、日赤医療班のほかにも、いくつかの医療機関が援助に訪れましたが、分担は明確には行われていなかったようです。災害時には災害医療を統括する医師を現地対策本部に加えさせて、医療面のマネジメントを行う必要があると考えます。
また、今回もマスコミの電話回線の独占によって、回線が混乱し、防災無線も被害が対岸の地域にも及んで混乱したために、患者の移送で後方病院と患者の状態について連絡がとれなくなりました。今後、独自に使用可能な医療専用無線の設置が必要と考えます。
第2に災害後の医師の派遣でありますが、今回の災害では地震発生から約8時間で現場でのトリアージ、トリートメント、トランスポーテーションは終わってしまうことが指摘されています。特に医師のいない被災地区にはもっと早く医師を派遣し、トリアージの段階から災害医療に参加できるようなシステムが必要と思われます。
第3に医師派遣や患者搬送の手段にヘリコプターや航空機を使ったシステムづくりが必要と思われます。救急医療においてもドクター・ヘリコプターを用いたシステムはわが国では残念ながら整備されていないのが現状であり、災害時にもすぐにドクター・ヘリコプターが飛んで行けない原因の1つと考えられます。ドクター・ヘリコプターですと、現地に着いた時点から医療を開始することができますし、患者搬送中も医療を継続できるメリットがあります。今後、医療器材を搭載した災害用のドクター・ヘリコプターが必要になってくると思います。今回、医師を早期に派遣する上でネックとなったのは、夜間で奥尻島近郊の天候が悪かったために、ヘリコプターが飛んで行けなかったことが挙げられます。しかし、その後の重症患者搬送に大活躍したのがヘリコプターだったことを考えれば、今後は小回りが利いて機動力のあるヘリコプターと有視界飛行に頼ることのない航空機とを組み合わせた搬送体制が望ましいと考えます。
今回わが国で初めて、自衛隊の医療班が災害現場に出動して行きました。災害医療の専門家集団を集結し、認知されるようにすることも大切であると思います。現時点では機動力、人的・物的設備を有する自衛隊との協力体制は必須と考えます。自衛隊自体も災害現場に出て行くように変わってきたこと、それも陸、海、空でそれぞれバラバラであったのが、新聞で見る限り統幕会議で統一した形態をとって災害にも出て行こうとする姿勢に変わってきたことから、自衛隊とコミュニケーションをはかり、災害医療システムを構築していくべきであると考えます。

とにかくヘリを飛ばせ、という姿勢がなかった

【山本】ありがとうございました。

【金子】付け加えますと、例えばトランスポーテーションの問題です。地元の先生が、被災者を送ろうと思ったけれども通信の手段がなかった。ヘリが来たから乗せてやった。たまたまちょっと連絡がとれたから、A病院に送ろうと思ったけれども、そのヘリは連絡不十分で函館の空港に下りて、転送していった先がB病院だった。A病院では患者さんが来るというので待っていたのに空振りで、B病院ではいきなり患者さんが来てしまったからびっくりしてしまった。
ともかくシステムとしては函館空港へまず患者さんを送る。そこにドクターがいて「これはA病院」「B病院」「C病院」というように、トリアージすればよかったと思うのだけれども、そこがいわば情報の不足、通信網の不備でできなかったのでしょうね。
それから、今回非常に不幸だったのは天候が悪かったことです。函館からドクターがヘリで奥尻島まで飛ぶというので、函館市立病院、あるいは日赤病院のドクターが空港に来て待っていたのだけれども、ヘリが翌朝6時過ぎまで来られなかった。前の晩の10時17分に地震が起きているわけですからね。その次の朝6時過ぎまでドクターが島へ行けなかった。もちろん、大惨事が起こっているわけですから、一刻も早くそういうマンパワーが必要だったのだろうけれども、行けなかったということと、道路が寸断されていてその島の中でさえ移動ができなかった。行った人たちもどう動いてよいかわからないということがありました。
今回の医療に関しては、私はそこのところに一番問題があると思い、山本先生と一緒に1回島に行きました。その前にも1回行って、現場を見せてもらったりなどしましたが。さらに応援に行った人の話を聞くと、水が不足してしまってトイレが使えなかったというのです。研修センターとか中学校などに皆が集まってきて、仮の病院をつくったのですが、とても臭くて皆トイレヘ行かなくなってしまった。お年寄りなどはトイレヘ行きたくないから、おしっこも出ないようにお水も飲まないと、何かそのようなことまで起こってしまったというのです。
ともかく、とりあえず現地にヘリを飛ばす。防災用のヘリでも何でもよいから、とにかく一刻も早く飛ばすというシステムが北海道ですらまだきちんとでき上がっていないのです。そこが一番の問題ではないかという気がします。
医師が函館空港で待機している間に皮肉にも一番先に着いたヘリはNHKのヘリです。朝の3時には着いています。そのときに現地では心臓マッサージを受けている患者がいたのです。「空港に医師のヘリが来るぞ」というので、皆被災者が空港に移っていったのです。老人ホームの指導員と保健婦さんが一生懸命心臓マッサージをしていた。そういう医師ではない人たちが一生懸命やったわけです。それはひょっとしてお年寄りが心臓が止まって、ばったり倒れたときに困るからというので、普段から練習をしていたわけでしょう。それが災害の時に役に立ったわけです。
ところが一生懸命蘇生法をやって飛行場で医師を待っていたのだけれども、一番先に来たのはNHKのヘリで、次に来たのが道警のヘリです。それは多分札幌から飛んで来たと思うのです。ところが自衛隊も日赤も、函館からドクターを連れていこうとするものだから、天候が悪いから行けないということになってしまったのです。ヘリを飛ばすということに対して皆がどのように相談したのかなと思うのですが、どちらに聞いても「わからない」と言う返事ばかりです。
札幌の丘珠空港には自衛隊や、警察も消防もみなヘリを置いてあるわけです。もしもこの空路で行けるとなったら、医師は1人でも2人でも次から次へと乗せてやれば、それはとりもなおさず奥尻島の交通の寸断されているところでもそのヘリは使えたわけです。ですから、そういう高い立場でものを考えていただかないと。「局地的なことは消防がやれ」あるいは「地元の医者ががんばれ」というようなことでは困ります。道路が寸断されているし、おまけに、今回はこの津波というのは特殊事情なのかもしれないけれども、岸辺の船は全部沈んでいるわけです。ですから、フェリーは近づけない。巡視船も近づけない。空からしか行けなかったわけです。そういうところにどうやって医療というものがアクセスするか、アプローチしていくのかという、これは非常に大きな問題だと思います。

4つの適切性

【山本】いま、金子先生から遠隔地域での一種の応援体制の重要性が指摘されたようですが、この災害医療というと、4つの適切性というのが出てくるのです。1番目はライトパーソン(right person)。適切な医師、看護婦あるいは医療スタッフが行ったのかどうか。それからライトタイム(right time)。適切な時間以内に到達できたのかどうか。それからライトプレイス(right place)。適切なところに行けたのかどうか。そして最後はライトマテリアルズ(right materials)。物資の医療機材、薬品等がしっかり持って行けたのかどうかということになると思います。医療のことを中心に考えると、大体のところはうまくいったのかなとも思います。しかし、特に遠隔地ゆえに医師の対応が遅れたということで、もし早急に適切なドクターが行っていたら、亡くならずに助かったかもしれないという傷病者は、金子先生の調査でいたのでしょうか。

【金子】実はこの座談会の前日に、奥尻町国保病院の先生も含めて北海道医師会の懇談があったのですけれども「早くヘリが行ったら助かった患者さんは何人いましたか」と聞かれて、地元の先生が「2人いた」とはっきり断言しました。心肺蘇生をやっている人が本当に助かったかどうか、非常に疑問はあるのだけれども、早く気管内挿管をし、薬剤を投与していたら命が助かったかもしれません。医療というのは、そのようなことの積み重ねだろうと思うのです。

【山本】それから、援助機材、医薬品を含めてですが、奥尻島そのものの備蓄あるいは救急対応についてはいかがだったのでしょうか。

【金子】奥尻に行った日赤病院の先生方のお話だと、持って行ったものの中で特に循環器系統と中枢神経系の薬品、そういったものが不足して後から送ってもらったそうです。ですから、最初に持っていったものと実際に使われたものでは、やはり差があったと思います。
そのためにも、足りなければすぐ運ぶという手だてがあれば、とりあえず飛んでいってあげればよいわけですから。島民もかなり高齢の人が多く、血圧が皆200以上に上がっていたというわけですから、そういう中で血圧下降剤とか鎮静剤というのは、やはり必要だったわけですね。

【今泉】奥尻町国保病院では、離島ゆえに海がシケて薬品供給がストップすることがあるため、都会の病院の薬品備蓄量の約3倍、つまり1週間分の備蓄があったようです。従って、約6時間で重症患者25人、軽傷患者44人を治療しましたが、薬の量や質に関しては特に問題はなかったと聞いています。青苗地区に最初に入った自衛隊医療班、日赤医療班とも、外科処置の医薬品を準備していったようです。自衛隊医療班は創の処置に追われ、一段落した後に入った日赤医療班の治療対象は主に内科的疾患の患者さんが多かったと聞いています。以前から高血圧や糖尿病の薬を服用していたが、津波で流されたので薬がほしいとか、夜眠れない、不安だから薬が欲しいという患者さんであったようです。

【笹木】パラメディックは、最初に災害現場に直行した者が、災害状況の評価を行い、この状況報告に基づいて必要人員や医療資源が供給されます。しかしながら、今回の奥尻島の場合のような、災害現場が境界のない広域に及ぶものでは、被災者の数や負傷の程度、被災者の分布などの評価が極めて難しく、そのために先ほど山本先生のご指摘のライトプレイスに、ライトマテリアルズをというような資源管理は難しかったと思われます。被害状況が把握しやすい限局した名古屋空港での中華航空機事故のほうが、災害対策としては容易であったと思われます。
奥尻島のような災害現場が限定されない開放型広域災害では、状況評価が難しいため、ある程度の無駄を覚悟した対策が講じられます。ヘリコプター導入もその妥当性うんぬんを言ってはおられません。

リソース・マネジメントができていない

【金子】日本というのは災害が確認されてから出掛けて行くでしょう。しかし、奥尻島の先生はこう言っています。「空振りでもよいからまずヘリに来てもらいたい、空振りでもよいから」と。「そこに怪我人が1人も出なくて、ヘリが必要なかったとしても、それでもよいではないか」と。

【笹木】災害医療に関しても、あわて者で十分だというオーバーエスティメーションをしてしまっても、後で引き上げればよい。それが先ほどのお助けマンであり、DMATの思想なのです。助けに行って、必要なかったら帰ってくるのだというようなことなのです。それがこのオープンという災害現場には、必ず要求される仕組みだと思います。

【金子】そうですね。

【山本】よく欧米の教科書等にはネガティブ・センディングという言葉が出てきますけれども、ネガティブ・センディングについても、もうまったく躊躇なく「それでもやるんだ」という思想が根本にあるのですね。

【金子】そうなんです。ドイツのドクターズヘリの思想はまさにそうでしょう。ですから、交通事故現場でも救急車も行く、ドクターズカーも行く、ヘリも飛んで行くと。そこで、この患者は近くの病院で間に合うから救急車で運べばよい、それからもう少し専門性が要求されるのだから、これはドクターズカーで治療しながら連れて行かなければならない、あるいはもっと専門性の高い治療を必要とする場合はヘリで搬送するわけです。
そうすると、事故の20%はヘリは飛んでいっても空振りで帰ってくるそうですが、それでも、その空振りを含めても、ヘリを使ったほうが国民経済全体としては黒字になるのだと彼らは言っているわけですからね。
その「国民経済全体から見る」という視点が日本にはないわけでしょう。各省庁ごとの予算でやっていますから。

【山本】そうなってきますと、ネガティブ・センディングの問題に付随しますけれども、金子先生のところのように、今回は現場に行かなくて、その受け皿に回ったという、大学病院、あるいは救命救急センターのドクターというのは現場に出ていくのがよいのか、あるいは受け皿として待つのがよいのかというところにも大きな問題点があると思うのですが。

【金子】それはお呼びがなかったからだけのことです。大学病院には医師もたくさんおります。ですから災害の時には、救急を専業としているドクターが外に出るということには、私は基本的に賛成の立場なのです。災害の現場であれ、日常の救急の現場であれ、ドクターがまず出向いていく。搬送してきた患者は病院全体で病院長の指揮の下に対応すればよいわけですから。病院長に一言言っていけば、あとは病院長の判断で動けるだろうと思いますが。

【今泉】いま金子先生が述べましたように、われわれの施設では、積極的に現場に出向いて救急医療を開始する立場を取っております。年間数回現場にヘリコブターで飛んで行って治療を開始し、当院屋上にあるヘリポートに搬送してきています。もう2年前になりますが、高速道路で186台の玉突き事故があった際にも、「患者を受け入れてほしい」という連絡が入ったのですが、現場に医師がいない上、「車体に挟まって救出に時間がかかる」とのことで、「現場でのトリアージが必要だろうし、その負傷者も救出前から治療を開始したほうがいい」と申し出て、私自身、病院屋上でヘリコプターによるピックアップ方式で現場に行った経験があります。今回の地震も、NHKニュースを見て、地震発生1時間後には医局員全員が医局に集まり、奥尻島に行く準備をして道庁にヘリコプターの要請をしましたが、「自衛隊医療班を派遣することに決まったので、受け入れ側に回ってくれ」とのことで、受け入れ側を担当することになりました。
災害医療の場合、現場でトリアージやトリートメントをすることも必要でしょうが、大勢で現場に行っても治療できる設備も施設もありませんので、トリアージした重症患者をトランスポーテーションし、その患者の治療を担当することも同様に大切なことです。災害医療においては、役割分担した上で、それぞれが十分機能することが重要と思っています。

【笹木】最初の話に戻ります。資格と、だれがオーソライズしてやるか。現場で要求されている医療二ーズというか、資源が正確に判断されていない。ですから「先生のところはいいんですよ」とか「自衛隊で十分だ」と。だれが何の基準で判断したか。要するにリソース・マネージメントができていない。情報も不確かだということで、そういうことを考えると、災害が起きたときにしかるべき救急の専門医の先生、あるいは日頃から救急をやっておられる先生が現場に行って、そこで正しいアセスメントをして、そこから要求されるリソースを工夫するという仕組みをつくらないと、せっかく待機している優秀なメンバーが、結局何もせずに終わってしまうわけです。

【金子】そういう意味で、一番最初の話に結局戻ってしまうわけだけれども、災害対策本部にそういうドクターが1人常駐しているべきだと思うのです。災害が起きたそのときに、ともかく呼ばれて行って医療的な判断をそういう人がする。この損害・被害の一覧表は道庁からもらったものですが、各方面でいろいろなことがあります。ですから、災害対策本部としては、これ全部に気を配らなければならないのです。「だから先生、医療の間題だけではないのです」と彼らは多分言うと思う。しかし私たちに関しては医療がすべてです。ですから「医療がすべてだ」という人間を側におかなければ、やはり正しい判断ができない。

【山本】そこのところで、いろいろな反省点も出てきましたけれども、今回の北海道の南西沖地震についての教訓を生かすという面についてはいかがでしょうか。先生方は「十分それはやっているのだ。それは行政が悪いのだ」というような流れでよろしいでしょうか。

核ディザスターの議論もない

【今泉】今回の災害で多くの事を学ばせていただきました。離島災害のため、ヘリコプターの有用性とそれの持つ弱点が認識されました。また、NHKの全国放送によって中央官庁の動きの早かったことが挙げられます。
もし、あの放送がなければ、「北海道の離島の災害」ということで中央官庁の救助や救援に関する対応も遅く、被災地の島民の苦しみも、もっと大きく、長いものとなった可能性もあると思います。
逆に通常は伸良くやっている地元の警察、消防、行政が、中央官庁からの縦割りのパイプによってがんじがらめにあって、現場での横のつながりがなくなってしまったことが指摘できると思います。医療に関しても、日赤は日赤方式で、自衛隊医療班は自衛隊の指揮下にやっており、一応は役割分担はされておりましたが、薬品の不足分を補い合うような相互関係はとれていなかったようです。
こうした中で、地元の医療関係者の災害に対する意識の高さには感銘を受けました。日本海中部地震の教訓のもとに寝たきりの患者を抱える奥尻町国保病院では、年2回の避難訓練を自主的に行い、自家発電機などの準備をしておりましたし、災害発生時にはトリアージ担当、創処置などのトリートメント担当といったように医師の役割分担を行い、重症患者を躊躇なく自衛隊にお願いしてトランスポーテーションするなど、適切な災害医療がなされておりました。
われわれとしては災害医療に対する研究を重ねておりましたし、ヘリコプター搬送の経験も多数あり、ヘリコプターに搭載すべき薬品、装置なども常に準備しておりますので、災害発生早期に現場に出ていって、その中で苦しんでいる人たちの役に立ちたかったのですが、交通手段である「足」の確保ができなかったことがネックとなりました。陸続きであれば、何らかの手段で行くことはできたのですが。

【金子】歯痒い思いというか、奥尻島から札幌医大に8人の患者が運ばれてきました。全部軽症で、軽症だったからどうだったという話ではなく、かえって「よかった、よかった」ということになるのだろうけれども、何となく腕を振るう場所がなかった。それと、実は奥尻島の対岸に泊村の原子力発電所がありますからね。もちろんそういった地震にも耐えられるようにつくってあると思いますし、今回も何もなかった。しかし、日本でこういうヌクレアール・ディザスターに関して、まったく議論したことがないわけでしょう。防災訓練はもちろんやっているでしょうが、この沿岸は地震の好発部位ですから。日本海全体について言えることだけれども、そういう原子力発電所に何かがあったときは医療の面でどうするのかという話が当然出てきてもよいはずです。

【山本】いま、われわれが指摘しなければいけないのは、実は核というとおかしいかな、放射性物質を輸送するときの交通事故、あるいは輸送途上で何かが起こったときにはどうなのかという問題についても、まったくディスカッションがないのです。
というのは、いまの状態は核物質がどこを何時に通るというのはいっさい公表されないのです。ですから、いつ、どこで、どういう核物質が日本中を動いているのかというのは、われわれにはまったくわからない。ですから、交通事故もあるでしょうし、いろいろな事故が当然あるでしょうね。どこを通っているのか全然わからない。そういうものも医療サイドだけには知らせるべきなのではないか。
ところで、今一番防災に関して準備が進んでいるのが東海地震ではないかという気がしますが、特に医療対策はどうなっていますでしょう。

【笹木】私は、この東海地震に対する医療面で何かをしているわけでは決してないのです。東海地震に関して地震の予知法とか医療以外の面ではかなり静岡県は進んでいます。それは印象としてあります。地域防災計画とかそういったのも市町村レベルまでかなり認識は高いと思います。ただ、災害医療に関しては具体的施行細則があるわけではありません。私の住む伊豆半島は医療機関が極めて少ない環境ですので、日常の救急医療においても一般の人々の不安は想像できます。
自衛自立が計れない脆弱な医療環境での災害対策をどうするかは何も伊豆半島だけに限りません。奥尻島の事は対岸の火事ではすまされない問題です。

災害医療法の確立まで発展させないと

【笹木】災害対策基本法も災害救助法も大きな災害があって、そういったものが起きたときに乗り越えようではないかということで法的整備がされてきた歴史的な事実があるわけです。それに含めて、もう少し災害医療というものをきちんと整備すれば、被災者ももっと少なくてすむといった実質評価とか、例えば欧米のように災害医療というものが確立した場合に、これだけのコストが節約節滅できるというテクノロジーアセスメントをきちんとして、災害医療システムを確立すべきです。私はもう一度災害医療法とかそういったものを考える非常によい時期にきているのではないかと思います。いろいろな話が出て、危険物に関しての話とか、そういったものを全部統合して、やはり救急医療の前線に立っているメンバーがリーダーシップをとって、声をあげて救急救命士という制度を勝ち取ったと同じように、災害医療法というようなものにまで発展させないと、生かされてこないだろうと思います。
ですから、国が認めた、周りが認めた非常に権威を持った人材を養成し、その人たちに委ねるという地域社会をつくるということでなくてはならない。
私も地域の人たちにトリアージとか、CPR程度のアキュート・トリート(救急処置)とか、トランスポーテーションのことに対する工夫とかの啓蒙はできます。けれども仕組みまでは変えることができないわけです。ですから何とか国会レベルで、あるいは医師会、医学会などのレベルで大きな力にしていただく。そうでないとわれわれのような非常に脆弱な社会は救われないです。
私が今、ささやかに行っているのは、普段の仕事仲間のドクターや看護婦に対して、「トリアージという言葉を知っているか。災害と救急は違うのだぞ」という、そういうような草の根運動でしかないわけです。それを、何か形にするには、厚生省とか国会とか、そういう行政を動かし、政治を動かすという公的な整備を確立して、それに準じた仕組みを期待したいというのが、私の今の結論というわけです。

【山本】非常に貴重なご意見で、草の根運動を一つひとつ始めていくのだということだったと思います。ちなみに先生の病院では、いきなり訓練をするということをやっておりますでしょうか。

【笹木】いきなりの訓練ではありませんが、年2回の病院訓練で2つの役割を自覚するように心掛けています。1つは、大規模災害時に患者を受け入れる医療機関としてのものであり、もう1つは病院自体が災害を被った時のものです。外来患者・入院患者の避難の先導と、搬送患者・護送患者の避難救出は災害現場におけるトリアージの概念を応用させています。そして、入院患者すべての転帰確認、つまり帰宅を促した患者、あるいは他の病院への転送など、入院患者すべての転帰を確認できた段階で訓練終了としています。

ホテルのマイクロバスも搬送に使う

【金子】搬送の手段はどうお考えになっていますか。

【笹木】伊豆半島ですから、スクールバスを利用するだけでなく、ホテルに送迎バスがたくさんあるので、こういった20人、30人乗りくらいのマイクロバスの利用も検討しています。

【金子】それは地震などを想定されているわけですか。

【笹木】そうです。

【山本】アメリカのEarthquake scenarioに基づき、日本でもいろいろな対策がとられているようですが、そのシナリオでは病院だって無事ではないことになっています。ところが日本の災害対策では、医療機関というのはいつも無事なのだという。先生のところも「医療機関は大丈夫だよ」ですか。

【笹木】大丈夫ではないときの想定で、その60人の転帰確認の訓練をしています。着る物からレッド、イエロー、グリーンの認識をさせて、もしわれわれが外に出されるような運命になったら、この患者さんはどこに転送されなければいけないとか、そういうことに日頃から認識を持っている。患者さんに自宅に帰っていただこうとか、その時点での瞬時のトリアージも一応トレーニングさせる。

草の根運動での出発

【山本】なるほど。金子先生のところはいかがでしょうか。いきなり災害の訓練というのを9月1日にやるというのは、これはまたお祭りですのでちょっと違うと思いますが…。

【金子】年に2回ぐらい一応やっています。ただ、あらかじめ救護班はどこにいて、どこから出火してどうだとか決めてやっていますから。全体としては考えてはいるのだけれども、まさかあの大きな建物が急に引っ繰り返ることはないだろうという安易な気持ちがあるかもしれませんね。あとは火事ですね。というのは、火災が発生した時に燃えなくてもくすぶった煙で皆やられてしまいますから。そちらのほうが今は大事かなと思っています。

【山本】米国では、A病院の勤務医がA病院にアクセスがだめになって、近くにB病院、C病院があるから災害時にはそこで医療行為を行おうと、そのようないろいろなコードをつくって災害対策をしておりますが、東海地震で、いざそうなった時に一生懸命やってあげたいのだけれども、自分の病院には行けない。そういう問題点はどう考えているのでしょうか。

【笹木】当初から医療スタッフが少ない環境ですから、当然そのようなことはしょっちゅう起こりうると思います。それでなくても全体的に医療者は少ないと思うのです。ですから、そういう環境では、結局、支援体制、アシスタントチームに委ねるしかないと思います。

【山本】もう1つ、医療のハザードマップ(hazard map)というのもつくっていますか。

【笹木】それはやっておりますというか、幸いにして訪問看護とか、いま在宅の医療がありますね。われわれの病院にはマップというか、ここの家にこの患者さんがいる、お年寄りがいる。この人は動けなくてナースが訪問看護に行っている。そのナースがいったん緩急あらば様変わりする。「お前たちがファースト医療をするスタッフなのだ、という認識を持て」というような教育はしています。ですから、実際に私たちは地域医療も在宅医療も訪問看護も救急医療も災害医療も全部、同じスタッフが瞬時に様変わりするような認識は持とうと言ってきています。ただでさえ少ない医療スタッフなのだからと。それが私の草の根運動です。

【金子】笹木先生のところは草の根の発想からいっても、在宅医療をはじめ訪問看護から救急医療、災害医療全部に通じるサンプルだと思いますね。

【今泉】笹木先生は、独自に在宅医療から救急医療、災害医療までやっておられるようですが、一地域での災害医療というものは一ケ所だけの医療機関ではなかなか行えないものと思います。例えば、先生の病院が災害に巻き込まれた場合、患者の移送、受け入れ病院などの問題も派生すると思いますが、医師会を含めた地域ぐるみの体制を構築するような方向へ持っていく考えについてはいかがですか。

【笹木】そこまでのディスパッチはさせていません。はっきり言って、私自身がいまの職場に来たのは3年前です。それまでは心臓外科医をやっていました。ドナーを出す側ではなくて、もらいたい側で十何年仕事をしてきましたけれども。臓器移植も、医療行政とか、全体の医療のシステムを考えなければいけないテーマだったのですが、それは救急とか災害、地域医療、皆そうなのですね。答えは1つのような気がするのです。医療資源をどう効率よくするか、というリソース・マネジメント、さらに情報管理が性急に要求されるのが災害であって、普段から要求されるのが医療行政、健康政策です。ですから、答えは根本的にそういうところから考えてもらわないと、災害も救急も在宅も僻地も老人医療も何も変わらない。

【山本】そうすると、先生のその草の根運動というものを地元の医師会の先生方は理解していただいているのでしようか。

【笹木】私自身、医師会の中では正式にお話ししたことがないが、読み物を出しているのです。ただ、医師会の方が読んで下さっていることは事実だと思います。
ですから、ずっと欧米の災害医療とか、伊豆半島を考えるとか、それこそ奥尻島に学ぶとか、いろいろなそのようなことを1年、2年近く書き綴ったり、人に言ったりしてきています。ただ、医師会と言っても伊豆半島にはドクターはそんなにいませんから、そういう中で開業医として50歳、60歳を過ぎた先生方に、米国の災害医療だとか、ディスパッチの話とか、トリアージの話などをしてもなかなか過激なのです。
ただ、自分たちと一緒に仕事をしている看護婦は張り倒してでも教育はできるわけです。それはまだ卑近なところでしかないわけですけれど。行政とか国が動けば、もっと早いブレークスルーができるのではないかと思っています。やはり中央省庁とかそういうところでは接点を持っています。

【山本】ありがとうございました。そろそろわが国の災害医療の将来というところにテーマが移ってきているようですけれども、この固い頭の医師会を何とか少しずつ柔らかくしていき、そして縦割り行政を何とか横に考える目を持ってもらわないといけないというところ、それには災害医療等の法律的な面も考えなければいけないのではないのかというようなところも出てきております。

【金子】白分の病院の中のことではいろいろと言えばそれは聞いてくれると思うし、医師も看護婦も動いてくれると思いますが、ひとたび外に出たときに、防災会議で集まって来ている人たちに、そこをどう結びつけていくのか、それが一番最初の仕事だと私は思います。

【笹木】移植では、臓器移植法という法的なバックアップでそれに従事する医者を守り、それに関与するであろうドナー側の身の保全を守り、あるいはレシピエントの権利を守るという、法的にそれに介在するすべての人たちを守ろうという法律をつくっているわけです、外国では。それはPKOも同じだと思います。PK0で活躍する人たちの身の保全とか、オーソライズをきちんと法的にバックアップしてやりましょうと。ですからああいった派遣までできるわけです。災害医療にかかわるであろうメンバースタッフもそういった法的なバックアップを得て、日本の医療全体の災害医療の仕組みを、デザインもきちんとデスクの上でして、整備して、その法の下に国民全体が従う。そういった仕組みが一番早いような気がするのですが。

【山本】けれども、それはもうすでに災害対策基本法なり救助法なりでできているんだよということが、当然出てきてしまうのですね。ですからそこのところとの新しい災害医療法というのは、ここが違うんだよというところはどうでしょうか。

【笹木】それは米国には先ほど言ったFEMAの存在がすでにありますね。災害専門の、軍でもなければ厚生省でもないという庁が存在している。日本には存在しないものがあるわけです。それからNDMSという仕組みもきちんとあります。日本には、災害対策基本法を前提としたときには、国立病院であり日赤であったものが、現時点でははっきり言えば死文化されてしまっている。それが今日のこういう災害医療に対するわれわれの憂慮でもあるわけですから、やはりもう少し現実的な、具体的な医療法というものが、もう一度再考されてもよいのではないかなと思います。

【山本】そうですね。この災害対策基本法というのは、もうすでに50年、60年経っている法律ですので、現実に合ったような改革をぜひしていかなければいけないというのが結論的にあるようですが、われわれとしては自分の足元から一歩一歩、災害医療対策に心を傾注していかなければいけないのではないのかというのが結論だと思います。きょうはお忙しいところをお集まりいただきましてありがとうございました。

 

[1994年9月号メディカル朝日 掲載]

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