災害医療のシステム化を急げ

1994年9月
バイオフォーラス災害医学研究所・下田クリニツク院長 笹木秀幹

 

災害時の救急医療は日常の救急医療の拡大では不十分

毎年9月1日は、関東大震災にちなんだ防災の日として、日本列島至る所で防災訓練や災害に関する教育が行われる。病院や診療所などの医療機関においても、さまざまな訓練がこの時期に行われるが、実践的な訓練を行っているところは少ないようだ。
昨年7月に奥尻島を襲った北海道南西沖地震や、今年4月名古屋空港で起きた中華航空機の着陸事故などのような大規模な災害で求められる救急医療は、普段の救急医療の拡大だけでは決して十分なものではない。
アメリカ合衆国は、当該地域の対応能力をはるかに超える“大規模災害”を、“戦争”や“核の脅威”と同様に連邦レベルで対応すべきものとしてとらえ、災害に関する国家危機管理体制のシステム化が1970年代に行われ、さらに国家災害医療体制(National Disaster Medical System)もまた1980年代に確立されている。わが国では、救急救命士制度に見られるような救急医療体制の認識こそあれ、奥尻島や名古屋空港での悲惨な体験のあとにも、災害医療のシステム化がクローズアップされることは未だない。


災害医療の基本理念は“最大多数の最大幸福”

−救急医療と災害医療−
我々が日頃行っている救急医療では、患者の迅速な“搬送”と、この間の適切な“応急処置”が問題であり、救急医療に必要な“情報と医療資源”の流れは、災害現場と高度医療機関の間を結ぶ“点と線”の関係にある。一方、大量の被災者が発生する大規模災害では、搬送すべき医療機関も1ヵ所ではなく、大量患者と複数の医療機関をつなぐ“情報と医療資源”の流れは、“面と網”の関係になる。
したがって、予期せぬ時間に、予期せぬ所で大量の被災者が発生した場合に求められる救急医療では、“面と網”の中で多数の患者の“搬送”と“応急処置”を、いっそう効率よく機能するさせるための、もう1つのソフトウェアが必要となる。

−情報管理と資源管理−
災害における医療活動の第一歩は、現場における被災者の数的、質的な評価である。
最初に現場に到着した医療スタッフが、被災者の数とそれぞれの傷害の状況を迅速かつ正確に評価し、この“情報”によって、その後に必要な医療スタッフの数や、医療機材、医薬品、救急車、搬送先医療機関などが決定される。
しかしながら、大量の患者が要求する医療二ーズは、時々刻々と変化するものであり、しかもこれに対応すべき当該地域の“医療資源”が限られたものであるため、これを効率よく利用するための“情報管理”と“資源管理”が、災害医療において、最も重要なものとなる。

−トリアージと公平性−
大量の被災者への適切な対応を迫られる災害医療の目的は、出来る限り多くの患者を救命するということにある。
“最大多数の最大幸福”が救急医療の基本原理であり、したがって救命にあまりに多くの人手と物が必要になるような瀕死の状態にある患者さんは、応急処置や搬送順位がかえって優先されないこともある。
この“最大多数の最大幸福”の原理を実行するものとして、“トリアージ”という概念が災害現場では導入される。“選別(する)”と訳すべき“トリアージ”とは、患者の病状からその緊急性を判断し、これによって応急処置や後方医療機関への搬送の優先順位を決定するもの。病気の原因を追求したり、病態生理を把握するというような臨床診断学とは、その目的が全く異なる。

[表1] 日常・災害時の救急医療

日常の救急医療

災害時の救急医療

応急処置
患者搬送

トリアージ
応急処置
患者搬送

トリアージによって、軽傷者をより分けることは当該組織全体の資源負担を軽減させることになり、有限である医療資源の利用を重症者に優先させることによって、医療活動の効果効率をいっそう高めることができる。平等であるべき“生きる権利”が競合するような場合、どの患者の“搬送”を優先させるのか、あるいは誰から“応急処置”を施すのかが公平判断されなければならない。“トリアージ”はそういった公平性を合目的に解決するソフトウェアであり、“最大多数の最大幸福”という災害医療の基本理念を支えるものだ。
“応急処置(Treatment)”および“搬送(Transport)”という日常の救急医療活動に、この“トリアージ(Triage)”を加えた3つのTが災害医療の本質である [表1]。


統合型災害対策司令システムを導人し関係機関の横のつながリを

災害医療活動は、単に医療チームだけで行えるものではない。活動を安全かつ効率のよいものにするためには、警察や消防、あるいは自衛隊の救援が必要である。危険な災害現場から患者さんを救出するためには、自衛隊や消防署のレスキュー隊員に依らなければならない。救出された人々の、応急処置と搬送の優先順位を決定する場所(トリアージエリア)を確保したり、心肺蘇生や止血操作などの応急処置が可能な場所(トリートメントエリア)を設置し、そこに必要な救急医薬品や医療器具を運んだり(ロジスティクス)、救急車や搬送用バスが渋滞することなく出入りできる場所(トランスポートエリア)を設けることなどは、現場を熟知した地元の人々の協力が必要になる。
また、災害現場から救出された被災者が、病状の緊急度によって選別(トリアージ)され、応急処置(トリートメント)を受けた後、高度医療機関へ転送(トランスポート)されるまでの一連の災害医療活動を迅速かつ適切なものにするためには、これらの作業が一定の情報管理のもとに行われることが必要である。そして、この情報管理を行い、それに基づく意思決定を行うものが、災害現場に設置される“コマンドポスト”と呼ばれる対策司令部である。救命救助に必要な医療二ーズが現場からコマンドポストに届き、対応すべき医療スタッフや、利用可能な医療機器、医薬品、搬送手段、搬送先医療機関など後方支援の情報もまたコマンドポストに集中されており、これらの情報によって医療スタッフの派遣、機器配備などの資源管理が適切なものになる。
ICS アメリカで1970年代に確立されたIncident Command System(統合型災害対策司令システム)は、コマンドポストを中心に、トリアージチーム、応急処置チーム、患者搬送チーム、物資補給チームなどの実動部隊が統合され、これを担う各部署のつながりが合理化されている [図1]。災害対策活動において用いる言語も、それぞれの部署しか用いない専門的用語を極力避け、警察、消防、医療チームなどが相互に理解できるものに統一されている。無線周波数も災害時には各部署共通のものが用いられる。こういった横のつながりの合理化が被災者救済活動の合理化につながり、1980年代にはアメリカ合衆国だけでなく、欧米諸国にもこのシステムは普及され、国連などの医療活動にも応用されている。
優れた災害医療は、単に毎日の救急医療を拡大することではなく、いたずらに人材や資材を導入するものでもない。適切な状況把握から現場で求められる医療資源の二ーズを知り、適宜人材資材を供給することが大切であり、これを可能にすべき仕組みが必要である。“資源の備蓄”や“心の準備”だけでなく、災害時の救急に関する“システムの構築”もまたわが国にとって急務の課題である。そして災害医療のシステム化には、トリアージの概念の普及と日本型の統合型災害対策司令システムなどの導入が不可欠と思われる。

戦後に起きた国内の主な大災害

年 月 日

事故の状況

死 者

1945. 8.24

八高線小宮−拝島間多摩川鉄橋で客車が衝突

105

1947. 2.25

<八高線事故> 八高線東飯能−高麗川間下り勾配で制動がきかず脱線転覆

184

1951. 4.24

<桜木町事故> 根岸線桜木町駅で国電パンタグラフが発火、2両が全半焼

106

1954. 9.24
〜27

<洞爺丸台風>青函連絡船“洞爺丸”が台風のなか出航、横転し、タイタニック号の事故に次ぐ海難事故では世界2位の被害

1,761
不明者含

1958. 9.26
〜28

<狩野川台風> 伊豆半島南端から相模湾を経て江ノ島付近に上陸、伊豆半島を流れる狩野川の氾濫を起こす

1,269
不明者含

1959. 9.26
〜27

<伊勢湾台風> 紀伊半島に上陸、名古屋を中心に大被害を及ぼす。全壊流出家屋80,838戸は今までの記録のトップ

5,098
不明者含

1962. 5 03

<三河島事故> 常磐線三河島駅で貨車が安全側線に突入脱線、そこへ下り電車が衝突脱線、さらに上り国電が衝突し脱線転覆

160

1963.11.09

<鶴見事故> 東海道本線鶴見−横浜間で下り貨車が脱線、そこへ上り電車が衝突脱線、下り電車側線に突っ込んだ

161

1966. 2.04

<全日本空輸・ボーイング727> 千歳−東京上り便が着陸寸前に羽田沖の東京湾に墜落

131

1966. 3.05

<BOAC・ボーイング707> 東京−香港便が富士山上空で空中分解墜落

124

1971. 7.03

<東亜国内航空・YS11ばんだい号> 札幌−函館便が北海道渡島支庁七飯町横津岳に激突

68

1971. 7.30

<全日本空輸・ボーイング727> 干歳−東京上り便が岩手県雫石町上空で自衛隊機と接触、墜落

162

1985. 8.12

<日本航空・ボーイング747SR> 東京−大阪下り便が操縦不能となって群馬県・御巣鷹山に墜落、単独機の事故としては世界最大

520

1993. 7.12

<北海道南西沖地震/M7.8> 北海道南部の日本海側を中心に被災、奥尻島が最大の被害を受ける

215
不明者含

1993. 7.31

<平成5年8月豪雨> 鹿児島市を中心に記録的な集中豪雨に見舞われた

65
不明者含

1994. 4.24

<中華航空・エアバスA300-600R> 台北−名古屋便が名古屋空港で墜落。1985年の日本航空機事故に次ぐ惨事に

264

朝日年鑑1993 参照

(資料 運輸省)


医療スタッフをバックアップする災害医療法の制定を

災害医療に従事する医療スタッフは、以下の3点で法的にバックアップされなければならない。
(1)災害現場は多くの場合、危険を伴う場所であることから、これに従事するスタッフは、この問は“身分保証”されなければならない。
(2)被災者の応急治療や搬送の優先順位の決定などは専門的知識と技術に基づき、かつ公平に行われるべきものでなければならない。したがって、これに従事するスタッフは“国家資格”を与えられた人材でなければならない。
(3)当該地域の責任機関と協力体制を取るうえでも、縦横の指示司令系統が明確にされていなければならない。

災害医療のシステム化には、具体的現実的な責任機関が明確にされ、これに従事する者には資格と権威および身分保証が与えられるべきものであり、これらを定める国内版PKO法のような災害医療法の制定が欧米同様に強く望まれるところである。

 

[1994年9月号 ばんぶう 掲載]

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